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 〈松井秀喜はずっと巨人で活躍を続け、長く4番に君臨した印象があるが、プロデビューの1993年の開幕は2軍スタートだった。4番打者の座も用意された指定席ではなかった。立ちはだかったのは、原辰徳、落合博満、清原和博。松井が4番に定着したのは、ようやく入団8年目のことだった〉

 僕が入団当時の4番は、原さんでした。96年と98年の開幕時には4番を打ったのですが、あまり数字が上がらないので、96年は途中から落合さんが4番を打ち、98年は清原さんに代わりました。8年目の2000年はずっと4番を任されるようになり、最後の3年間は、一日も休まずに4番を打ちました。

 先輩打者3人との比較は、もちろん耳には入りました。でも、自分が先輩方になれるわけでもないし、自分から比べたことはないんです。もちろんすごい先輩方でしたが、4番という意味で意識したことはありませんでした。

 長嶋監督は「4番1000日計画」なんて言ってくれましたが、実際に4番に定着するには、2000日以上かかってしまいましたね。

 〈「4番1000日計画」。それこそが師弟の、「素振りの日々」だった。東京ドームで、長嶋監督の自宅の地下室で、遠征先の監督の宿舎で、マンツーマンの素振りは続けられた〉

 監督が持つバットのヘッドをボールに見立て本当に打つ感じで振るんです。監督はその瞬間にバットを引く。誰でもバットを振れば音はするんですが、短くて高い音がいいんです。音が割れてもいけない。高くてピュッという音でなければいけない。鋭く空気を一瞬で切る感じでピュッと振りぬけると、監督から「よし」と声がかかる。長嶋さんにしか分からないですよ。僕は監督が「いい」「悪い」と言ってくれるから分かるようになりましたけど、それでも分かるまでに1年、2年とかかりました。

 自分でもある程度は判断できるようにはなりましたが、監督がいるのといないのとでは、気持ちの入りようが違う。自分一人でその集中力と緊迫感を出すのって難しいんです。

 〈「ピュッ」というときの松井の声が高い。おそらく、長嶋監督の声も高かったのだろう。右利きの松井が「不器用」という左打ちのスイングは、長嶋監督との素振りで一つずつ積み上げたものだ。だからこそ揺るぎないスイングを固めることができたのだろう。素振りは松井が4番に定着しても、監督が勇退しても、巨人最終の02年に50本塁打を放っても続けられた〉

 ニューヨークでも、監督の滞在中には毎回やりましたよ。ホテルにバットを持ち込んで。携帯を床に置いて、国際電話を聞いてもらいながらバットを振ったこともあります。やったという行為は事実ですが、これはどこまで本当に聞こえていたのか、少し疑問ですよね。時差もありますし。(聞き手 別府育郎)

凄いことをしているんだよ成功者は!!!
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